軽子坂

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軽子坂

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軽子坂

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軽子坂

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軽子坂

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軽子坂

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軽子坂

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軽子坂

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軽子坂

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軽子坂

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--所在地--

JR飯田橋駅を市ヶ谷寄りの出口で降りると、正面に外堀が広がっています。緩やかなアーチを描く橋を右へ曲がり、まっすぐ進むと外堀通りにぶつかります。
太い幹線道路の信号を渡り、道をまっすぐ進めば神楽坂ですが、信号を渡ってから右へ曲がります。
外堀通りに沿ってしばらく歩くと、左側にビル前の広い空間と、地下鉄の駅が出口があり、そこで左に曲がると、神楽坂と平行する坂にぶつかります。 ここが軽子坂です。

--名前の由来--

揚場町と神楽坂2丁目の境を西に上る軽子坂。
この界隈である揚場町の名前は、かつて隅田川から神田川をさかのぼってくる荷船の積荷を下ろす、つまり「荷を揚げる」場所に由来します。神楽河岸と呼ばれる船着場に揚げられた多くの荷物は「軽子」の手で運ばれました。
「軽子」は揚場で働いた人たちです。 彼らは「軽籠」(かるこ:縄で編んだもっこ)で積荷を運びました。 軽子が通った坂、だから軽子坂です。

  この坂の南に平行する形で、先ほどから何度も名前の出ている神楽坂があります。軽子が通る坂はこちらでもよさそうですが、神楽坂は舗装されるまでは坂幅も狭く、急勾配でした。神楽坂ではなく、こちらが古くから軽子坂と呼ばれているのは、荷を運ぶのに適しているからでした。
しかし、隅田川から運ばれた荷物はいったいどのような物で、軽子はどこへ運んでいたのでしょう? WHEREとWHAT、その疑問に答える解答はどこに見つけられるでしょうか? 『私のなかの東京』(野口富士男)では「揚陸された瓦や土管がうずたかく積まれてあって、その荷を運ぶ荷馬車が何台もとまっていた」とありますから、建築用資材が運ばれていたと解釈できますが、江戸時代から続く「揚場」ですから、東京の名前になった時と同じ物がそのままに運ばれているとは考えにくく、また軽籠でそんな重たい物を運べるとは思えません。
軽子が運んでいたものはなんでしょうか? あいにくと資料等が無く、解答は用意できませんが、こうして運搬業である「軽子」の名前がありながら、何を運んだかまではわからないと言うのも、不思議な感覚です。

--歴史的背景--

江戸末期には荷物を積み上げする船の往来だけではなく、神田川をくだり、柳橋から隅田川に出て、浅草で芝居見物する船便もあったそうです。そうした風情ある光景が消えても揚場の往来は絶えることなく、前述したように東京になっても往来はありました。
神楽坂とは幾つもの路地で結ばれていますから、この坂も神楽坂の歴史の一翼を担ったのは間違い無さそうです。

--現 在--

かつて武家屋敷に囲まれていた名残は坂の途中にはまったくありません。歴史ありげな映画館が昭和の面影を残すだけで、通りには平成に建てられたと思われる非常に立派なオフィスビルが立ち並んでいます。
  坂の中腹あたりにあるビルの前は広々として、「スターバックス」[04]が御店を出しています。道に面した店の屋根は半円形を幾つも階層で連ねた、不思議なデザインをしています。道路側からは店の中を見ることは出来ませんが、色彩鮮やかな現代アートがショーウィンドウに飾られ、往来の目を楽しませていました。
ショーウィンドウを通り過ぎるとコンビニもあり、ほとんど江戸の面影と言うものは残っていません。強いて言えば豪奢な邸宅が一軒ありましたが、坂を登りきるまではオフィス街の顔ばかりが目立ちました。
坂の道幅は二車線です。緩やかに続く長さであり、坂の終わりもはっきりしています。坂を登りきったところで左側に通じる道があります。そこを進めば、神楽坂に出ることが出来ます。[05]

--観光地・飲食店--

看板:『神楽坂飯店』 軽子坂へ行く途上の外堀通りにあります。店の目印は青い看板[06]と、そして通りすぎただけの取材者の目をひときわひきつけた、巨大な餃子[07]と炒飯[08]です。大食いに成功すれば賞品が、というものではなく、お金を払ってそれを注文するのですが、それにしても巨大です。
店内は冷房も効いて涼しく、席へ腰掛けるとまず目に入るのは、壁を彩るサインの群れ。びっしりと埋め尽くすようにサインが張られており、とりあえず記念に一枚撮りました。[09]
今回、注文したのは『肉うま煮炒飯』です。外観としては炒飯の上に豚肉のひき肉が入っているあんかけがかけられています。まず驚くのはその美味しさです。何気なく頼んだのですが、とろみと香ばしい炒飯の味わいが絶妙で、幸せな気分になりました。あんかけが染み込んでいない下の部分は炒飯のさっぱりさが残り、一回で2度美味しかったです。
値段は680円とまずまずの値段です。
ショーウィンドウにある巨大餃子と山盛り炒飯で一歩引いたりせず、一度は訪ねたい御店です。次に行く時は山盛り炒飯(五千円ぐらい)を頼んでみたいものですが、あれがそのまま身体の中にはいるかと思うと…悩みます。

--この坂を登場させた小説など--

『硝子戸の中』(夏目漱石)
『私のなかの東京』(野口富士男)

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