坂町坂

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坂町坂

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坂町坂

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坂町坂

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坂町坂

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坂町坂

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坂町坂

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--所在地--

JR四ッ谷駅からすぐの坂町3丁目と5番地の間を北へ下る坂を坂町坂といいます。[01]
細い入り組んだ道が続き、四ッ谷駅から5分足らずの場所でありながら、静かな住宅街で、坂に沿って昔ながらの商店が、ポツポツと点在しています。坂町の名の通り、坂が多いのですが、道の突き当たりに当然階段が現れたり、行き止まりかと思えば家の軒先に道が続いています。[02] 

--名前の由来--

坂名は、町名に由来します。昔は、この坂下に大きな蓮池があり、水鳥が多く飛来したので、三代将軍家光が、狩猟に訪れたと言うが、その池はその後埋め立てられ、町屋となり、この坂も四谷坂町坂と名が付きました。
また、昔は坂の下を下坂町といって家康入府時に土地の安永を祈って桝箕(ますみの)稲荷神社が、坂の横丁に建立され現在に至っています。今では、児童公園にもなっています。[03]

--その周辺--

本塩町の雪印本社前を過ぎ、本塩町14番地と20番地の間を西へ下る坂を比丘尼坂と言います。[04]
この坂下の南側の尾張家の屋敷に剃髪した老女を住まわせていたことからこう呼ばれたと言うことです。
また外堀通りを本塩町と外堀公園沿いに南へ上る坂は、本塩14番地に旗本高力家の屋敷があったため高力坂と呼ばれました。高力氏邸宅のあたりに高力松と呼ばれる名木があり、天然記念物になっていましたが、戦災で消失してしまいました。明治の半ば頃堀端に青い火がチラチラ燃えて出て、この高力松のあたりまで漂い消え、この辺りでは人魂の出る噂があったそうです。
今でこそ外堀公園となり、総合運動場として利用され、散策道になっていますが、当時は、お堀端の暗い土手が続いていたのでしょう。
天然記念物の古木としては、江戸時代、柳沢吉保の父安忠の屋敷付近にあったスダジイの木が、昭和59年に新宿区の天然記念物に指定されています。この木に因んで坂町に通じる脇道は「椎の木横町」と呼ばれて来ました。その場所から昭和39年(1964)建築工事のため近くの雪印本社前に移植された後、平成8年7月都市計画による外堀通りの拡幅にともない明治記念公園(霞岳町)へ再度移植されました。現在は、公園の真ん中に葉を生い茂らせてずっしりとその姿を見せています。幹周りは、3.6mあり、樹齢350年前後と推定されています。[05]

中央線市ヶ谷~四ッ谷の線路に沿って外堀が続き、JR四ッ谷駅を出てすぐ外堀公園の入口があります。[06]
入ってすぐ右・四谷1丁目無番地に土木学会の建物があり、それと並んで土木図書館もあります。学会の方たちが、利用する専門図書館です。一般の人も土木に関する専門資料が必要なら利用出来るそうです。

外堀通りは、いつも交通量が多く、車が途切れなく行き交っていますが、その歩道を歩きながら、ふと足元に目を移すと、銀杏の葉の落ち葉がコンクリートを覆い、本当に黄色い絨毯のようでした。サクサクと足音を聞きながら、こんな都会にもまだまだ自然が残っていると感じられました。

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